阿弖流為(アテルイ)の物語

平安時代初期、坂上田村麻呂と戦った阿弖流為(アテルイ)は、東北地方の蝦夷(えみし)の族長として知られる人物です。

阿弖流為の概要

阿弖流為の活躍

阿弖流為は、現在の岩手県南部にあたる地域で勢力を持っていました。789年(延暦8年)、朝廷軍との「巣伏の戦い」で大勝利を収めました。この戦いでは、朝廷軍5万2800人に対し、蝦夷軍はわずか1500人という圧倒的不利な状況でした。

坂上田村麻呂との戦い

坂上田村麻呂は、桓武天皇から征夷大将軍に任命され、蝦夷征伐に向かいました。長期にわたる戦いの末、802年(延暦21年)、阿弖流為は500余人を率いて坂上田村麻呂に降伏しました。

阿弖流為の最期

降伏後、阿弖流為は京都へ連行されました。坂上田村麻呂は阿弖流為の命を救おうと朝廷に嘆願しましたが、聞き入れられませんでした。結果として、阿弖流為は河内国(現在の大阪府)で処刑されました。

阿弖流為の評価

阿弖流為は、後世になって東北地方の英雄として語り継がれるようになりました。優れた武将であり、民族的指導者として評価されています。一方で、単なる民族対立ではなく、地方官の悪政に反抗して立ち上がったという見方もあります。

阿弖流為の物語は、現代でも小説や漫画の題材として取り上げられ、東北地方の人々の心に深く刻まれています。

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